父の思い出
こんにちは! くもい歯科クリニックの雲井です。
このぐるぐるブログもだいぶ長くなってきましたね。スタッフのみんなには感謝しています。
そういうわけで、今日は私のコーナーとなりました。
今月は父の日がありますね。実は、今度の日曜日は父の17回忌になります。なんとなく、父のことを思い出したので、今日はそんな話を書こうと思います。
私の父は、大正最後の年に生まれ、11人兄弟の末っ子でした。成人ののちに眼科医にとなりこれを一生の仕事としていました。実家は早くに祖父が亡くなったため祖母は相当な苦労をして父親たちを育てたようです。長女や長男が先に社会に出て、生活費を家に入れて、家計を助け、私の父も三重医専(現三重大医学部)を卒業させてもらったそうです。
そういうあまり恵まれない少年時代を送ったことが、父の人格形成に大きな影響があったのでしょう。自分の食いぶちは自分で得なければならない。そういう考えが父の行動に如実に表れていました。私の無駄遣いをきつくしかりましたし、だらだらと遊んで勉強しない態度に軽蔑のまなざしを向けられました。
そういう思いは、生活が楽になるにつれて反動となっていったようです。特に、食べ物について非常に贅沢になり、息子の私が見てもカロリーの取りすぎ、塩分の取りすぎは明らかでした。晩年ですが、見るに見かねて食事について注意をしたことがあるのですが、「自分の金で何を食おうがわしの勝手だろう!」と、取り付く島もない返答でした。三つ子の魂、百まで...ということでしょうか。
そんな父も、不摂生がたたり、最後は腹部大動脈瘤が破裂して、出血多量でなくなりました。享年67歳でした。幼少期は苦労が多く楽しみの少ない人生を送り、中年期以降は反動的に飽食の限りをつくしてわが身を滅ぼすことになったとも思えます。
こんな風な書き方だと、碌な人生でなかったように聞こえるかもしれませんが、そうした一方で、30年以上にわたり、地域の医療に貢献し続けたのは間違いありません。ピーク時には一日で400人の来院者があったと聞いています。また、死ぬ間際まで、酸素吸入のお世話になりながらも、完全に仕事を辞めることはせず、診療所に足を運び続けました。葬儀の際には500人以上の方に参列していただき、喪主の私が一番驚きました。
父は立派な町医者としての一面と、身勝手で人の言うことを聞かない一面を併せ持っていたように思えます。人間は多重な側面を持って生きているのが普通ですから、特に珍しいわけではありませんが。自分も人の親になったこの数年、以前に比べて父のことを思い出すことが増えました。自分の娘たちには、「父親」はどのように映っているのだろうか。できれば、私の父の良い面を真似して娘たちに接していきたいなと思います。いつか、娘たちがブログを書く際に、良い父であることを書いてもらいたいなと思いながら、今日のお話を終りにします。